年1回であろう、そうと信じたい昨日の雪から一転、今日はよく晴れた日であった。
今日は買い物の荷物持ちとして外出した。
道が凍っているため自転車は危険と判断した母が、歩きでは荷物持ちが必要ということで俺もついていくこととなったのだ。
青い空に、透き通る日光を浴びて溶けた雪が滴となり屋根から煌めいている様子が綺麗であった。
何気ない街中ですら綺麗に感じるのだから、歴史的建造物や観光名所のような場所なら雰囲気と美しさは、自分の想像している以上のモノなのだろう。
雪の降る日自体は好きではないが、それゆえに雪解けの景色や空気の素晴らしさが引き立つ。
パッと1日雪が降り、翌日には雪解け景色を見れるというのはちかさと圏内(東京・神奈川・埼玉・千葉のこと)の良いところかもしれない。
上は空が青々と、空気がキラキラとしていた一方で、下は凍った地面が大層危険であった。日陰は、それはもうスケートリンクであったから、何度か転けかけた。いつもは大股歩きだが、今日ばかりはチワワの様にちょこちょこと、細々歩く羽目になった。疲れた。
午後はといえば、炬燵でネットサーフィン、ブラウザゲームにスマホゲーム。まさにニートといった生活だ。
ウマ娘は、短距離オグリキャップを今日も今日とて上振れ理想個体更新を狙って育成中。レンタルの短距離因子8カレンチャンには感謝しかない。
シャドウバースは、グリームニルと再誕がナーフされたことで、香川県ドラゴンがかなり戦える環境になって助かっている。
とまぁソシャゲやネットを趣味にカテゴライズ出来なくもない生活だが、じゃあそれらのために「働こう」とか「生きよう」とは思わないのだ。
働かないならネットやスマホを没収と言われても、はい、と諦められる。
じゃあ何でバイトの面接受けたのかというと、まぁ嫌になったら辞めちゃえばいいやと思えるようになったからだ。自由に使えるお金があると心が豊かになるってことは理解しているし。
もし嫌になって無断で行かなくなっても所詮はアルバイトなのだ。時給1000円前後の責任なんてそんなもんでいいと思う。
自分には「生きがい」のようなものが無いと思う。
父は、生きがいは、何かを長く続けた結果それが生きがいと呼べるものになるか、いつの間にか生きがいになっている、もしくは生きた結果のことだと言っていたが、あまりしっくりこなかった。
人間はもっと(制度的な意味で)簡単にしねても自分は思う。ゲームの電源をブチッと切るような手軽さで。
生まれたくて生まれたわけでもなく、生きたくて生かされたでもないのに、自さつが許されないのは、自分にはしんどい社会だなと思う。
さてあと何日日記を続けられるかな。
(2022年1月7日21時21分)