1浪1留Fランフリーターの生活日記。

1浪1留フリーターの毎日の生活記録です。

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」について。

 2月26日 晴れ

 

 天気が悪かった3連休とはうってかわって良い天気です。

 

しかしながら風がめちゃつよで花粉がやばそうとしか思えない日でもあります。

 

 

 今週のお題「習慣にしたいこと・していること」らしいです。

 

 

それはずばり「日記(はてなブログ)を書くこと」です。

 

 常々言っていますが続けられていません。

まぁ続けること自体が目標になってるから続かないのかなとも思います。

 

 

 そもそもはてなブログをやり始めたのは何もしてないよりは何かをしなければという漠然とした理由からです。鬱状態から脱却するために、とりあえず感情を整理・吐露してみようという考えです。

 

 

 また、自分が誉められたり上手くいった経験があるのが文章を書くことくらいだからブログにしたのも理由の一つです。

 

といってもその成功体験をキッカケに文章を書くための練習をしたわけでもなく、それに関する知識もありません。小説家ほど読書もしてきていないので小説を書くことが出来るほどの表現力もない。

 

小学生、中学生にしては文章を書けたというだけで、大人になった今、自分の文章力は高くもないです。でも大人になるまで何も積み重ねてこず成し遂げてこなかった人間なので、小中学生まで振り返るしかないんです。

 

悲惨なので皆さんはこうならないようにしましょう。

 

2月19日の日記。

 2月19日 曇り

 

 郵便局でアルバイトをしているのですが、郵便局のカタログ的なものは今まで買ったことがありませんでした。

 

まぁわざわざカタログで買う意味ないですからね。郵便局一強だった昔に比べて、今は多種多様なネット通販があります。

 

例えば郵便局のカタログではフルーツなどがイチオシ枠の代表例なのですが、なしてそれらを郵便局を通して買わなければならないのか、私としても疑問です。値段がお得なわけでもないし、ネットに疎い老人向けのサービスなのかなぁという印象です。

 

郵便局で買うことのメリットがなんら無いわけです。だというのに昔からやっている事業だからとだらだら続けているのはまぁ不思議なことだなぁと思います。

 

また、昔はスパルタな時代でもあったでしょうから、カタログ商品を無理&無茶してでも様々なところに営業をかけていたでしょうし、自爆営業などもあったんでしょうね。そんなんで成り立ってた事業が現代でしぼむのは必然と言えるのかもしれません。

 

 

 と、原稿用紙1枚分くらい郵便局カタログのネガキャンのようなことを書いてしまいましたが、ここで冒頭の私は買ったことがないの話しに戻ります。

 

 買ったことなかったので、買ってみました。フジバンビのドーナツ棒を、郵便局で。

 

九州土産として有名らしいですね、ドーナツ棒。

私はカタログ読んでて初めて知りました。値段のお得さは微妙です。

多分Amazonの方が安く買えます。まぁAmazonもちゃんと調べて買わないと、胡散臭い出品者が山ほどいますから。

 

その点、郵便局は多少なりとも信頼があるのではないかと考えられます。

…信用信頼の代金として割り増し分を納得できるかどうか。

 

 

 今週には届くようなので、今週は黒糖ドーナツ棒を生きがいに頑張って生きていきます。

 

おわり。

2024年2月16日の日記。

 2024年2月16日

 

めちゃ久しぶりの日記更新であり、令和6年初の日記だ。

ほんと日記が続かない。書くとも書く気力が湧くほどの出来事もないから。

正確に言うと書くことがあるくらい充実した日は、充実と同時に疲れもあるので日記がめんどくさいのだ。

 

 さてそんな今日はアルバイトは休み。

週4勤務で金土日を休みにしているのだが、これには有給を使う際に4連休5連休にして旅行に行きやすいというメリットがある。

…というのは後付けの理由で、本当は大学に通っていたときに金曜日に授業があったからだ。

 

 大学を卒業して、「週5日働かんの?」と言われたりもする。が、俺には無理だ。仮にその労働内容が事務仕事とかなら平気なのかもしれない(事務仕事を舐めた発言である)。けれど今の肉体労働はとてもとても…。だから俺は肉体労働をする人達、いわゆるブルーカラーの人達を尊敬しているし、もっと金を稼げる仕事であるべきだと思う。いうまでもないがホワイトカラーもすごい。脳みそフル回転な仕事、対人関係の極みのような仕事…どれも俺には出来ない仕事だ。

つまりは働いてる人みんなすごいと思う(小並感)。

 

 

 世間様が労働している平日を休みにしている俺は何をしていたかと言えば、午前中はモンハンワールドをしていた。ムフェト楽しいよムフェト。

 

 午後は友人に誘われて茶をシバいていた。

唐突に渋谷の喫茶店に誘われても暇人の俺は二つ返事で了承する。

というのも鬱になってから(病院行ってないので自称)人との関わりの重要性を強く認識したので、誘いはブッキングしてない限り断らないようにしているのだ。せっかく俺なんぞを誘ってくれた相手に報いたいという気持ちもあるし。

 

 今日声をかけてくれた友人は大層面白いヤツなので、彼からこうして声を掛けてくれると頑張って生きなきゃなという気持ちも湧いてくる。ちなみに11月に感想を長々書いた歌集の主(ぬし)でもある。元気そうでよかった。

 

 ただこうして友人と会う機会が多いと楽しい一方で、果たして相手に不快な思いをさせてはいないだろうかとか、自分が一方的に喋りすぎちゃいないだろうかと不安にも苛まれる。加えて、自分の友人達は俺からするとみな出来た人たちなので、相対的に自分の不甲斐なさ…はそもそもソレを言えるほど努力してないから不適切かもしれない。

自分の人間としての薄っぺらさというか、芯の無さというか、そういったことを気にしてしまい鬱っぽくもなる。考えても無駄であまり意味のないことであるのは分かっていてもこればっかりは難しいものだ。

 

 でもやっぱり楽しかったという気持ちが強いから、友人というのは偉大で大切だ。感謝を忘れずにいたい。

 

 

おわり。

メロ・メロウ・メロディの感想日記。

 11月12日 曇り。

 ひたすら灰色の空だった。灰色空の下で歩きながら食べるミスタードーナツは美味しかった。それが今日のお昼ご飯。

 

 

 さて、めちゃ久しぶりに日記を更新する。

というのも、昨日11月11日(土)、学生時代の友人「北原有」氏が「文学フリマ東京37」というイベントに出店したからだ。

 

彼は短歌をやっていて、イベントで歌集「メロ・メロウ・メロディ」を出したのである。すごい。拍手だ。

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この真ん中の冊子。

ちなみにイベントの戦利品は3冊だけ。貧乏人なので…。

 

今回はそんな彼に敬意を表して「メロ・メロウ・メロディ」の感想を書き連ねようと思い、ここを更新するに至った。

あと、この友人が俺の文章を読みやすくて良いと褒めてくれたからという理由もある。というかそれが7割だな。褒められ慣れてないから調子乗っちゃう。

 

 

 本題といこう。

この歌集「メロ・メロウ・メロディ」はなんと175首も載っている。歌人北原有渾身の175首であることは間違いないだろう。なんせ記念すべき第1冊目の歌集ですから。

 今回はその中から俺が好きだなと思った10首くらいを選び、その感想を語っていく。

 

それでは、対戦よろしくお願いします。

 

 

「公園でたまごサンドを食べている俺の背中はひだまりまみれ」

 

 この歌は歌集の初手に置かれている。短歌ほぼ初めての俺は詠み手が北原って認識が強くある状態だったので、「俺」が北原で描写された。あったけぇ公園でたまごサンドを食べてる北原はとても俺の中のイメージ通りである。

俺は2年間くらいしか北原と接してないから、いまだに北原はサブカル野郎のイメージなのである。サブカル野郎は陽に当たりながらたまごサンドを食うよ、平日に、1人で。1人だよ。なぜなら俺は北原に独り身でいて欲しいからである。

北原を知らない人からするとどういう感想になるのかも気になる。

 


「事故物件サイトを見てる カーソルを君が出そうな場所に合わせて」

 

 亡くなったであろう「君」が出そうな事故物件って、「君」が自殺しそうな家ってこと?という読み取り方をしたい。一緒に死のうか…。

いやまぁ、実際はこんなひねくれた読み方はせず、死んだ彼女に会えそうな家を探す死別の歌、でもちろん問題ない。彼女の気に入りそうな家を、事故物件というジャンルの中で探すわけだ。そこに住めば死んだ君と出会えるんじゃないかという有り得ない期待をしながら。良い歌だァ…。

「心霊スポット」とかじゃなくて「事故物件」にしているところが、同棲前に死んだ「君」と一緒に住む場所を探しているようにも捉えることが出来て良き。好きな単語センスだ。

色々な妄想捗る俺の好きな1首である。

とか思ってたらこの歌に関する解説もとても良かった。解説集は購入者特典、羨ましいでしょう(言えば普通にくれると思う)。

 


「子供から大人になるにつれ虫に触れなくなるパターンがある」

 

 共感したのでチョイス。まさに俺はこのタイプ。

昔は飼いたいとワガママを言い買ってもらったカブト虫、今じゃゴキブリとさして変わらない印象だ。不思議だよなぁ。ムシキングとか好きだったのになぁ。

ちょうちょの羽を毟っていたし、ありんこの足をもぎ取ったり、ダンゴムシを何匹か木の枝に刺して串団子を作っていた。最悪なガキだ…触れなくなって当然なのかもしれない。

 


「カプセルを潰せば拡がってゆくよ記憶が感情になる」

 

 カプセルってタバコのカプセルでいいのかな。最近はカプセルコーヒーとかあるからさ。まぁここではタバコでいきます。

シンプルイズベストな失恋の歌という印象だ。相手の吸ってたタバコの匂いが記憶を呼び覚まし、記憶が感情を呼び起こす。切ない。

ちなみに、特定の香りと何か事象や記憶が結びつく現象を「プルースト効果」といいます。某ラノベの想い人に記憶されない系ヒロインで知った。報われてくれ…食蜂…。

話が逸れました。

 ただシンプルイズベストゆえに、例えば、いくつかの短歌の中から北原の詠んだモノを当ててみなと言われ正解がこれだったらキレる。なぜなら北原じゃなくても詠めそうだから。でも良い歌だ。多くの人に届きそうな歌。彼にだって少しくらいシンプルイズベストな面があってもいい。

追記:詠み手に聞いたらタバコのカプセルで合ってた。

 


「読みかけの本がおそらく残ってるあなたの部屋にいつかのままで」

 

 こちらもまた素敵な失恋の歌。「おそらく」「いつかのまま」なのが未練がましさが顕れているように思えて俺の好きな部分。

希望的観測で、別れた想い人の中に、理想の自分そのままが少しは残っていて欲しいという未練がこの歌にはある、と読んだ。

俺は、失恋は重く苦いどろりとした粘着質なものであるべき、と思ってる(そうならない失恋はまず恋ですら無いという過激思想すらある)からこういった感想になるのだけど、解説集より冬野水槽さんの「"祈り"がある」という説明でそんな過激思想は身を潜める。北原の短歌の印象としては冬野水槽さんの解説の方がよっぽど正しいというか、ピッタリハマると思った。未練より祈りと言った方が綺麗。素敵な表現が出来る人の周りには素敵な表現が出来る人間が集まるというのか…!

 


「最高の夜にするのは俺たちで他には何もいらないだろう」

 

 愛を語る短歌が多い中で、爽やかな友情を感じさせる1首がこれだ。いや、友情もまた愛の1つと言えるから、これもまた愛を語ってるといえるか。

夏の飲み屋の帰り、もしくは二軒目への道のり、夜中にテンション高く肩組んで歩く男2人が見える見える…。

 


「既視感はあるけど君とではなくて知らないふりの変な相槌」

こぉれは北原ぽくて好きだ。北原が実際にしてそうだからだ。してそうなんて不確定じゃなくていいな、絶対してる。

この歌と離れたページにあるこちらの歌もここで紹介しておきたい

「気づかないふりをするのは簡単でそういうときのふわっとした風」

………とても良いと思いませんか。

 


「寝ていたら君はどっかに行っちゃった 室外機から出る風の音」

 北原貴様こんな経験したことがあるなら許せへんぞと思うくらい好きなシチュだ。こんなことは現実にあっちゃならん。本人に聞いたら経験したことなかった。よかった。

俺がしたい失恋の理想形かもしれません。素敵すぎる。さらにこの「君」が歳上の女だとなお俺得。

電気のついていない、太陽が出るか出ないかのぼんやりした空気とぼんやりした寝起きの頭で室外機の風の音だけを認識する一人ぼっちのワンルーム。「君」がいたら室外機の風の音なんて気にも留めなかった。それは今まで聞こえていても意識しない音だったのだ。

 あと、個人的にはこの短歌が歌集の中で1番文学的だなとも思った。

とても俺に刺さった短歌です、☆5。

 


「出来るだけ綺麗なことも言っておくこれは私の人生だから」

 名刺の裏に歌いつけたくらいだから北原も気に入ってるんだと思う。俺も好き。

綺麗なこと「も」なのが良い。綺麗なこと「だけ」じゃないんだよな。その1文字の表現で人生は綺麗事だけじゃないってのを感じさせるし、だからこそ綺麗なことも口にしていきたいんだろう。それと同時に、綺麗でないことも言っておく宣言でもある。いいね。

あと、「言っておく」って言い回し良い。俺が北原の言い回しが好きだというのはこういうところに顕れていると思った。上手く言えんけど、何となく北原のこういう言い回し好きだなって学生時代にも感じていた部分が出ている。

 


「桃を剥くきみのうなじがどこまでもわたしのものであればいいのに」

 

最初に連想したのは病院のお見舞い。というのも果物を剥く姿をわざわざ視認するのってお見舞いかなぁって俺は思うから。そして俺はどうしたって「きみ」は男を指す単語で「わたし」は女性を連想するタイプの人間なので、この歌には病院のベッドに余命が僅かな女の子がいて、桃剥いてる彼氏がいるのだ。自分が亡くなった後、彼氏君には新たな出会いがあるかもしれない、そんなのは嫌だなぁずっと私だけを引きずって欲しいなぁという、仄暗い願いを感じた。「どこまでも」ってのが、俺にはそれを思わせる表現だからである。もろちん感じ方は人それぞれ。俺の中での「どこまでも」はプラスかマイナスかで言えば後者なのだ。

というかここまで妄想を書き連ねておいてなんだが、病院で桃は剥かないかもしれない。お見舞いエアプなので許して欲しい。

 

 

総評

 

 解説本を読んでからあぁなるへそ愛が主軸かと思うくらいには雑に読んでしまったのだが、確かに言われてみれば愛がある歌が多かった。失恋の描き方にオタク味を感じるのは俺がオタクだからそう読み取っちまうのが7割、北原の構成要素にオタクもあるからが3割だろう。あと、上記では触れなかったのだが、「ライフイズビューティフル」の6首はどれも北原らしくて良かった。北原の感性というか、彼の世界の見方を味わえる6首で非常にぐーである。

 また、表紙デザイン、および合間に挟まる挿絵もとても素敵な歌集であった。歌集の雰囲気を引き立てている。特に「スーパーカー」で載せられている挿絵など絶品だ。そのうち別のイベントとかで再販するだろうし、気になったらぜひ手に取って欲しい歌集である。同人誌ってのは一期一会だから。気を逃すと手に入らないので…。

 

 

4000字近く書いちゃった。今までで一番長いかもしれません。

 

終わり

2月11日の日記。

 土曜日なので何もしなかった。

 

昨日の雪はほとんど残っておらずでよかった。

 

何もすることがないから家で出来ることと思い美少女プラモデルにも手を出してみたが、最近組み立てるのがめんどうくさくなっている。向いてなかったかな。

 

明日もすることがないな。資格の勉強とかして、フリーターから脱却しやすくなるような基盤固め的なことをした方がいいのだろうけど。

でもそこまでして生きていたいとかお金が欲しいという気持ちもないんだよな。

 

目標とかやりたいことがある人はうらやましいな。

2月8日の日記。

 晴れ

 

今日はdアニメストアに登録してみた。

 

アルバイト以外することがないので、手当たり次第にアニメを見てみようと思う。

 

こんなことをしてる時間があるなら資格の勉強とか就職活動をした方がいいんだろうけどね。

 

というわけでウィッチブレイドを見始めた。

気になっていて結局見ずじまいだった作品。小林靖子脚本だし楽しみたい。

 

 そして午後はアルバイト。よく1年続けることが出来たなと自分で驚いている。

 

来年度からはシフトの時間を増やしてみるのもいいのかもしれないな。

 

でも体力がない元引き篭もりだから、8時間も立ち仕事出来ないんだよな。

 

足、主にふくらはぎがつる。ふくらはぎの持久力ってどうやったらつくんだろうな。

 

 

おわり。

8月ぶり

とても久しぶりに日記を書く。

 

卒業論文とアルバイトで疲れて日記を書く気力が出なかった。

 

多分卒業できるだろう。

 

気持ちの整理と時間潰しのためにまた日記を書かないと。

 

結局死ねずに生きているのだから、自分は恵まれているなと思うし、その恵まれた環境をドブに捨てているとも思う。